ハラスメントの時代
「ハラスメント」という言葉もまた、どこか暴力的な感じがする。
セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ・・・。
これを掲げれば、これまで弱者と言われてきた人たちも強者に勝てる。
これもこれで、やりすぎると一方からの圧力が強すぎる感じがして、何かが違う気がする。
これまでに強者と言われる、権力者と言われる人たちがやりすぎたのかもしれない。
いや、そもそも時代の要請だ。
背景には、人々の中の、精神的、経済的にも格差が広がりすぎた。
一人ひとりの人権をもっと守ろう、ということ。
それに伴っていろんなルールも作られている。
新聞で読んだのだが、最近の自衛隊のルールでは、隊員の罰則は、それを指導している罰則を与える側も、同じ罰を受けるそうだ。ハラスメントとならないように、という配慮からだそうだ。
私が学生の時によくあった「校庭10週!!」というやつだ。
これを隊員と一緒に教官もやる。
なんだかなぁ。
強者側の権威にしがみつきたい気持ちもわかる。
私も長い間、管理職を経験してきた。
若い頃、それが欲しいだろう、えらくなろう、と言われて、頑張ってきたんじゃないか。
えらくなると、地位や権力がもらえて、皆から尊敬されて、すごいすごいと敬られる。
秘書をもって、自分の部屋が持てて、すごくえらくなるとお抱え運転手まで持てる。
これは、どこへ行ってしまうんだろう。
これからの人の目標は多様になりそうだ。
「えらい」を勘違いしてしまったことのツケかもしれない。
一方、社会においても、家庭においても「格」なるもの、威厳たるものがなくなりつつある気がする。
政治も、組織でも、家庭でも。
絶対的な存在、引き締める要素が薄まっていくことに、不安を感じることもある。
男女の役割分担の歴史の中で、男性が作り上げてきたこの階級社会の中で、ここに無理やり「全員平等」を持ち込もうとしてもなかなか難しい気がする。
縄文時代のような自給自足の生活に戻ってからそうするなら、わかる。
ただ、北欧のように上手にバランスをとっている国もあるなぁ。
誰もが気持ちよく生きられるこれからの日本社会に、子供たちを送っていきたいものだ。
※熱海伊豆山の朝焼け

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