反応する私、から、選ぶ私へ
- 8月16日
- 読了時間: 3分
イラっとしたり。
悲しい気持ちになったり。
理不尽さにやるせなくなったり。
人間関係の中で、自分の感情がネガティブに動くとき、
「なぜ、私はこんな気持ちになっているのだろう」
と、自分の内側でおきていることを、深掘っています。
85歳の妹の義母は、なぜか、私に対して、何かと気軽に依頼してきます。
親戚としては遠い関係です。が、妹(嫁)よりもお願いしやすいのでしょう。
そんなものです。
先日も、昨年購入した冷蔵庫の調子が悪い、と言ってきたので、購入元に連絡をしたりして、自ら介入しました。
一方、妹の気持ちとしては、嫁の自分を差し置いて姉に連絡をすることに、気分が良くないことと、姉の時間を割かれることにイラっとするらしく、「もう構わないでくれていいから」と言ってきました。
私の名前でやり取りしていたのを、途中からバトンタッチして。
そのまま問題なく進めばいいものを、差し替えてもらった冷蔵庫がまた不具合があったらしく、お店から直接私に電話があったりして。
「もう一切こっちにふってね」とあらためて妹に言われたので、私としては完全に手放しました。
お店に対してのイラっとする気持ちの不燃焼さや、親切心でやっているのに、その言われ方はどうか、ということにイラっとしたり。
掘り下げて自分の気持ちを考えてみると。
「評価」ということに強く反応している自分がいました。
やはり、またこれか。
お母さんに「どうみられるか」「どう思われるか」が根っこにあるのです。
優等生でいることに安心できる自分がいる。
妹が日ごろ、義母のことで振り回されるのが嫌だと、聞かされていたので、良かれと思ってやったけど、そこは上手にやらないといけない、ということもまたあらためて学習。
思考や感情に巻き込まれているとき、私たちはそれと一体化しやすいもの。
少し距離をとって、自分の内面にある思考の流れや感情を観察し、言葉にしていくことで、余白が生まれ、無意識のうちに当たり前になっていた自分自身の前提に気付けるのです。
同じような思考回路になったり、感情が出てきたり。これまで通り、することは変わらなくても、「気づく」ことから変化がおこる。
少し離れたところから、自分を眺められるようになれば、
「反応的に行動する」
ではなく、
「自分で選んで行動する」
に近づけるのです。
人前で発言したり、周囲と違う意見を言おうとする時。
自分で選択して、
「それでも言ってみる。」
「それでもやってみる。」
「今回は言わないでおく。」
ができる自分でいたいですね。
叔母さんが軽井沢のレイクガーデンに別荘を買ったので。
8月初旬に引っ越しのお手伝いに行ってきました!
庭がとっても素敵です✨


























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