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生きるということ

ここ最近、三島由紀夫の小説を読みまくった。


もともと、三島由紀夫が書いた「葉隠入門」を読み始めたことから始まった。

武士道にある、覚悟、潔さ、繊細さ、粋さ、が好きで、

葉隠にある代表的な一句「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」に、どのような考えが存在するのか知りたくて、三島由紀夫の「葉隠入門」を見つけて読み始めた。


「葉隠」は人生の哲学書。

葉隠を世に残した佐賀藩の山本常朝という人は、主君である殿様に殉死したかったのだが、認められなかった。武士ならば殉死することが当たり前だった世の中。無念の中で隠居生活に入り、その中で弟子に語ったものを弟子が書物にしたのが「葉隠書」ということ。

山本常朝は61歳でその生涯を閉じた。(若いね)

人生後半で人生とはなんぞや、どう生きるべし、というものを残したということですね。


「死ぬ事」が前提として、当たり前に覚悟されていれば、自ずとどう生きたいか、生きるべき、が見えてくる。


自分らしく、楽しく生きる、という中に「何のために生きるか」「どう生きるか」を大事にする、ということがあるべきと思う。

人がこの世に生を受けるということは、必ず意味があること。

その一生で、それをどれだけかなえるか、が問われる。


「葉隠」の行動哲学として根っこにあるのは「自立」。自分自身の生き方に責任と覚悟をもって生きる。そこから他人を想う温かさが出てくる。

死ぬ事も、生きることも自立した覚悟があるからこそ、人生のだいご味が存在するんだとあらためて感じた。



三島由紀夫の小説、金閣寺、仮面の告白、豊饒の海、と読み続けた。


三島由紀夫の小説に一貫したテーマは「死」と「美」。

その表現力の繊細さと迫力(若干ひいてしまうほど💦)には驚いた。これがこの人の小説の面白さだと思った。頭のいい人だな、とつくづく感じ入りました。


「輪廻転生」は、最後に執筆した「豊饒の海」のテーマのひとつ。

生まれ変わり、はあるでしょ、と私自身は信じている。

生まれ変わることが前提だとしたら、この一生を精一杯過ごさなかったら、次にくる人生が良いものとなり得ない。


三島由紀夫といえば、50年前の市ヶ谷駐屯地での壮絶な割腹自殺。

日本人が戦後、平和ボケの刹那主義、快楽主義、自分勝手なご都合主義となっていくことを憂いて憂いて、「日本人、これでいいのか!」と自らの死をもって訴えた。

葉隠にあるように、武士が大事にしてきた命より大事な「誇り」がなくなっていくことへのものすごい危機感ですね。

この人のすごいところは、考えて思っただけではなく、そのまま行動にうつすこと。

まあ、かっこいい(❁´◡`❁)


さあて。

いただいた命に感謝をもって、精一杯燃やそうじゃないか。






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