AIにできること、人が担うこと
最近では、ググらずチャットGPTに聞く、って方も増えましたよね‥
先日、一緒に旅行に行った友人は、チャットGPTと会話形式で、なんでも質問している姿に驚きました。
「今、ここにいるんだけど。どこのサービスエリアでご飯するのがいい?」
「どんなご飯がある?」
「こんなスポットがあるんだけど、これって何?」
「こんな場所に行きたいんだけど、候補を出して」
とか。
かなりざっくりとした質問でも、彼女の特性や志向を分かっているので、的確な回答が返ってくる。
しかも、彼女がチャッピーと呼び掛けるAIの声やイントネーションは、好みに変えられるので、自分にとって快適な声でお話してくれる。
そのキャッチボールのスムーズさと的確さ、仲の良さ(笑)に驚かされました。
今年1月に公開した映画「MERCY/マーシーAI裁判」を観ました。
最近はAIを題材にした映画やドラマ、増えていますよね。
これは、裁判官や陪審員の役割から刑の執行に至るまで、司法のすべてをAI『マーシー裁判所』に委ねた世界が舞台です。
主人公の敏腕刑事が、妻殺しの容疑者としてAI裁判官に裁かれるというもの。
かつて、殉職した仲間を殺した犯人が裁判で無罪になったことへの悔しさから、AI裁判なら人間の感情が含まれない厳格なものと主張し、自ら望んでAI裁判を受けるという背景。
AI裁判官は、世界中のデータベースから瞬時に映像や写真、事実(データ)を表示して、容疑者が妻を殺した可能性が高いと判断していきます。
「事実を積み上げれば、真実にたどり着けるのか」
という問いがつきつけられます。
私たち人間は、事実と事実を「常識」という接着剤でつなぎ合わせ、一つのストーリーをつくってしまう習性があります。
これまでの経験や、自分が当たり前だと思っていることをもとに、無意識のうちに判断してしまう。
組織の中でも、「評価」や「採用」などの場面で、私たちは同じことをしてしまいますよね。
もちろん、そこには思い込みや偏見が入り込む危うさがあります。
でも一方で、これまでの経験や直観があるからこそ、データだけでは見落としてしまう小さな違和感に気づけることもある。
AIが示したデータや結論を鵜呑みにするのでもなく、頭から否定するのでもなく。
その情報を手がかりに、人間が直観や経験を働かせ、別の可能性を探っていく。
そんな協働のあり方があるのではないかと感じました。
どれほど整然としたデータやスコアが並ぼうとも、最後に何を真実と判断するのか。そして、その判断に責任を負うのは人間なのだと、教えてくれた気がしました。
そうそう。
映画の中でもう一つ面白い、と感じたこと。
主人公の容疑者が、「直観」から同僚を疑い始め、突き進んでいってしまう一幕で。
「あなたは手順を飛ばしました」とAIに指摘される場面がありました。
私たちは、ある結論に向かって思考が走り出すと、視野が狭くなり、最初の直観を後付けで正当化するために、都合のいい事実を集めて、大事な検証手順をすっ飛ばしたりします。(私のこと?笑)
こんなとき、AIの得意な論理的な検証が、私たちを冷静に、客観的なプロセスへと引き戻してくれます。
AIにできること、人が担うこと。
それぞれの良さを理解し、活かしながら、上手に共存・協働していくことが大事なのだと思います。
現段階では。
シルバーウイーク
友人と一緒に行った白馬村のコテージから見るアルプス山脈


























コメント