

「今ここにいる私」
昨年の終わりに「那智の滝」へ続く熊野古道を歩いた。 苔むした不揃いの石畳。大門坂。 数えきれないほどの巡礼者がここを踏み歩いたことで、角が取れて丸くなっていることに数百年の歴史を感じる。 見上げた先に続く天を突くような杉の木の巨木たち。 そこには圧倒的な生命力があった。 杉の木立から差し込む光の美しさ。 あの神秘的な空気は、今でも時々思い出す。 結局、あまりの険しさと長い距離に、途中からタクシーを使った。 以前の私なら「最後まで歩けなかった」と悔しい思いになっていたかもしれず。 今の私は、効率や結果がすべてとは考えない。 あの杉並木の中で立ち止まり、深く息を吸い込んだら、とても満たされた気持ちになった、それでいい。 それが私の巡礼。 未来でもない、過去でもない。 「今ここにいる自分」に意識を戻す作業。 こういう時間が大切だと心から思う。 朱色の平安衣装を借りて歩くこともできる。 歩いている人を見つけた!フォトジェニック。


「仕方がない」は止める
気づけば、この思考が今の私の思考クセの中心にあること。 「仕方がない」 だって、仕事だから。 だって、約束していることだから。 だって、あの人が悲しむから。 どれも間違っていない。 むしろ、ちゃんとしている理由。 我慢して、飲み込んで、やり過ごす。 その結果、イライラしたり、人のせいにしたくなったり、なぜか体調を崩したりする。 最近、こんな整理をある人から学んだ。 手足が未来。 体が現実。 頭は過去。 頭は賢い。 でも頭が考えていることの多くは、過去の経験、失敗、怖かった記憶からできている。 だから頭だけで決めると、安全だけど、変わらない選択になる。 一方で、手足は未来に向かっている。「やってみたい」「行ってみたい」「触れてみたい」理由よりも先に、動きたがる。 子どもがまっすぐ動けるのは、頭が真っ白だから。過去が少ない分、未来に出やすい。 「仕方がない」をやめるための大事な対策。 それは、 未来を具体的に描くこと 。 思考は、現実をつくる。 だったら、「この選択の先に、どんな自分でいたいか」「どんな結果を受け取っていたいか」を、できるだけ具体的に
























