成長支援のワナ
- 7 日前
- 読了時間: 3分
管理職になると必ずぶつかるテーマがある。
「部下の育成」「成長支援」だ。
「育てたいのに、うまくいかない」そう感じたことはないだろうか。
先日の管理職研修で、「成長支援とは何か」を言語化するワークショップを行った。
挙がったのは、どれも正しいことばかりだった。
・相手の未来をともに描く
・その実現に向けてエネルギーを渡す
・気持ちの支援だけではなく、具体的な行動ができるような関与をし続ける
・成長に向けて変わることを決めるのは本人であることが大前提
・当事者意識を目覚めさせるような関わりをする
どれも「その通りだよね」と頷けるものだ。
一方で、同時に気づく。
「わかっているのに、できていない自分たち」に。
ワナ①「配慮」という名の「臆病さ」
「相手も大人だから、踏み込みすぎはよくない」「自分で考えさせることが大事」「誘導になってはいけない」
そうやって、一歩引いた関わりを選んでしまう。
しかしその裏側には、こんな本音が潜んでいる。
拒絶されたくない。面倒な感情に踏み込みたくない。
つまりそれは、「相手のための配慮」であると同時に、自分を守るための選択でもある。
きれいな未来を一緒に描いたあと、「自律が大事だから」と距離を取る。
その結果、いつの間にか「支援」は「放置」にすり替わっていく。
ではどこまでが自立で、どこからが放置なのか。その境界は、思っているよりも曖昧だ。
ワナ②自分基準の正しさ
もうひとつのワナは、「自分の正しさ」だ。
過去の自分の成功体験を、無意識に“正解”として握りしめてしまう。
そして、こう考えてしまう。
「自分だったら、こうするのに」「なぜそれができないのか」
そのズレが、苛立ちになる。
しかし、自分のやり方が通用しない相手と向き合うことは、ある意味で「これまでの自分」を揺さぶられることでもある。
自分は本当にわかっているのか。このやり方は、本当に正しいのか。
そう問われるような感覚に近い。
だからこそ、人は無意識に「自分は正しい側にいる」という安全な立場にとどまろうとする。
成長支援とは、相手を変えることではない
ここで一つ、立ち返りたい。
私がよくやってしまう思い違い。
成長支援とは、相手を変えることではない。
他人を変えることなど、できない。
できるのはただ一つ。
相手の可能性を信じ、関わり続けること。
変わるかどうかを決めるのは、あくまで本人だ。
だからこそ、踏み込むことも、待つことも、関わり続けることも、すべてが問われる。
相手の停滞や未熟さに向き合うとき、私たちは同時に、自分自身の未熟さにも向き合うことになる。
だから難しい。だからこそ、避けたくなる。
それでも関わり続けた先で、相手の小さな変化に気づいたとき、
きっとそこには、自分自身の変化も起きている。
沖縄ハレクラニ♪春分の日に贅沢旅


























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