

チームは一日にしてならず
本格的な夏~。 夏の暑いのは大好きです。 が、もう少し緩やかな暑さでいいです…。よね。 エアコンタイマー、以前は活躍していましたが、今やまったく出番なし。つけっぱなし状態。 大阪へ行ってきました。 4月にお会いした大阪の女性管理職メンバーとの最終講。 研修をスタートした7か月前からたくさんの刺激を受けて、成長し前向きなキラキラした目をしている皆さんを見ることができて、とても嬉しかったです。 今の皆さんの関心事項は「チーム力」。 チーム全体の力を高められるようにしたい、誰一人取り残されないチームづくり、チーム一丸となって業務を進められるようにしたい。 周囲を巻き込み、メンバーを主体的に動かすコツ、誰が見ても同じように理解できる情報整理や共有のコツ、など、話し合いはコミュニケーション力にも広がりました。 やはり、基盤に「信頼」「尊敬・リスペクト」が必須。 そのためにも、一人ひとりのメンバーの役割認識は必要。私は●●の専門家、というプロ意識の醸成。 コミュニケーションにおいては、目的、ゴールの共有をしたうえで、活発に意見が言える環境を作る。...


「こうあるべき」を手放した先のハローライフ
ちょっと手に取った。 村上龍の「55歳からのハローライフ」。10年ほど前の本。 村上龍はあまり好きではないと思い込んでいて。 敬遠していた。 短編小説で、5つのストーリーから成っているもの。面白かった。 55歳くらいで一度、人生の終わりを迎えるということ。 人生100年時代には、2度人生を経験できるということね。 人は亡くなる前に、人生が走馬灯のように思い返され、もっとこうすればよかった、早くに気付いていれば、とか、人生を俯瞰して見れる状況がくるという。 小説のすべてのストーリーが1度目の人生の振り返りのようになっている。 内側での気づきや、感情の移り変わりがとても上手に描かれていた。 これまでの人生がいかに思い込みや既成概念にがんじがらめになっているか。 そして、そもそもの自分の人生の目的、人生観を考えさせられ、本当に大切なものに気付く、というものだった。 いろいろ、たくさん印象に残ったところはあったが、中でも次の2つが印象的でした。 2つ目の作品「空を飛ぶ夢をもう一度」 人生末期の複雑な状況の同級生の願いを叶えることに、なぜか全身全霊で取り組


幸せだな、と感じる時
皆さんは人生で「幸せだなぁ」と感じる時は、いつですか? 先日の「人生観」を考えるワークの中で、私も考えました。 夜、ベッドに入ったとき。 やっぱり。これですかね。 「ベッドで大の字になった時」と書いた方がいて。 いや、本当にそれだわ‥と。 そう思ってから、夜ベッドで大の字になった時に、毎晩、思いっきり幸せを感じています💛 4、5年前かな、シングルからセミダブルにベッドを変えてから、本当の意味で大の字になることが出来ています、笑。 今は手も足も遠慮なく伸ばして、「はぁ〜今日も終わった」と全身の力を抜く時間がたまらなく好きです。 考えてみると、幸せって特別な出来事だけではないんですよね。 仕事で何かを達成した時や、旅をしたときなど、そんな大きな喜びももちろんあります。 でも、毎日の中にある小さな「幸せだなぁ」を感じられることの方が、人生を豊かにしてくれる気がします。 温かいお茶を飲んだ時。 好きな音楽が流れてきた時。 家族や友人の笑顔を見た時。 湯舟に浸かった時。 そして、一日を無事に終えてベッドに入った時。 どれも当たり前のようでいて、実はとても


人は運が10割
先日、本屋さんで見かけた本のタイトル。 面白いですよね。 養老孟司氏が、80歳の壁を越えた人たち(和田秀樹著)の中で、次のように語っていました。 「人間ってね、『自分が何かしたからこの成果が得られた』と思いたいのですよ。だけど、それがまずいんですね。もういい加減、そんな考え方はやめたらいいと思うんだけど。数年前に若い人の一番好きな諺が『棚からぼた餅』だった。それでいいんだよね。」 この言葉は、とても自然に自分の中へ入ってきました。 「本当にその通りだな」と、心から思いました。 ハーバード大学のMichael Sandel教授も、著書 「実力も運のうち 能力主義は正義か? 」の中で、「努力すれば成功できる」というメリトクラシー(能力主義)の思想について論じています。 この考え方は、成功した人の中に「傲慢」を生み、うまくいかなかった人の中には「自己責任」という屈辱や自己否定を生み出す、といいます。 「自分は努力したから手に入れることができた。あの人が手にしていないのは、努力が足りなかったからだ」 そんな発想です。 「努力こそが正義」...


虹のメッセージ
4月27日、GWが始まるタイミングで、一瞬だけ虹が出た。 「なんか、いいことがありそう✨」という気持ちにさせられる。 実際には天気の現象のひとつにすぎないのに、虹を見つけると立ち止まり、空を見上げ、写真をとって、誰かに知らせたくなるもの。 空に突然現れ、短時間で消える。 しかも大きく、鮮やかで、規則的な形をしている。 このような現象が、古代の人々にとって、単なる気象現象以上のものとして理解されたんですね。 「天と地をつなぐもの」「神々の意思を示すもの」「変化の兆し」といった象徴的な意味を持つようになったということ。 虹と同じように、私たちがカメラを向けたくなるような現象は、他にもある。 ・流れ星 ・満月 ・初雪 ・桜の開花 ・朝焼け、夕焼け 流れ星を見て、願いごとを考え 満月を見て、節目を感じ 初雪を見ると季節の変化を実感し 桜を見て、「また今年も見れた」と人生の節目を実感する 若い時よりも「より美しく」「より儚いもの」として味わい深く感じるようになりましたね。 「ありがとう」 おかげ様で、まだ肌寒い軽井沢で、桜と新緑を楽しめた良いGWを過ごしま


組織の中に自分の味方をつくる
大阪に行ってきました✨ 女性管理職の皆さんとの対話の場で、こんな相談がありました。 「業務改革の提案を上司にしても、“昔からこうだから”と取り合ってもらえないんです」 この状況、珍しくありませんね。 そして多くの人が「どうしたらこの上司を説得できるか」に思考を集中させてしまいがちです。 結果的に、「仕方がない」とあきらめてしまう。 いえいえ。 動く可能性があるところから動かす。 つまり、「その上司」ではなく、別のルートからアプローチするという考え方です。 動かない相手に正面からぶつからないという選択をしてみる。 たとえば―― 同じ課題意識を持っている他部署の人に話してみる 現場の困りごととして共感を集める 小さく試せる形で実績をつくる 影響力のある人に「相談」という形で巻き込む こうした動きを通じて、「私の提案」だったものを「複数の声」に変える。 流れを変える、つくる、をしたいものです。 また、日ごろから組織の中に 「味方をつくっておく」ということ。 特に女性の管理職が持っていないもの、としてあるのが 「組織の中で味方となる人」...


成長支援のワナ
管理職になると必ずぶつかるテーマがある。 「部下の育成」「成長支援」だ。 「育てたいのに、うまくいかない」そう感じたことはないだろうか。 先日の管理職研修で、「成長支援とは何か」を言語化するワークショップを行った。 挙がったのは、どれも正しいことばかりだった。 ・相手の未来をともに描く ・その実現に向けてエネルギーを渡す ・気持ちの支援だけではなく、具体的な行動ができるような関与をし続ける ・成長に向けて変わることを決めるのは本人であることが大前提 ・当事者意識を目覚めさせるような関わりをする どれも「その通りだよね」と頷けるものだ。 一方で、同時に気づく。 「わかっているのに、できていない自分たち」に。 ワナ①「配慮」という名の「臆病さ」 「相手も大人だから、踏み込みすぎはよくない」「自分で考えさせることが大事」「誘導になってはいけない」 そうやって、一歩引いた関わりを選んでしまう。 しかしその裏側には、こんな本音が潜んでいる。 拒絶されたくない。面倒な感情に踏み込みたくない。 つまりそれは、「相手のための配慮」であると同時に、自分を守るための


人生を納得して生き切る【100万回生きたねこ】が教えてくれること
「100万年も死なないねこがいました。100万回も死んで、100万回も生きたのです」 そんな一節から始まる、佐野洋子さんの名作絵本『100万回生きたねこ』。 先日、NHKの『100分de名著』で紹介されているのを見て、久しぶりに本棚から引っ張り出して読み返してみました。 子供の頃の記憶では、「好きになるっていいな」という純粋な恋の物語。 けれど大人になった今、この物語は「自分の人生をどう納得して生き切るか」という、もっと根源的な問いを投げかけてくれました。 「誰のねこでもない」という尊厳 かつてのねこは、王様、船乗り、泥棒、おばあさん……と、常に「誰かのねこ」でした。 100万回繰り返される生まれ変わり(輪廻転生)は、いわば自分不在の人生。 しかしある時、ねこは初めて「誰のねこでもない、自分のねこ」になります。 この言葉に、私はハッとしました。 私たちは社会の中で、会社、家族、国家など、何かの役割(=誰かのもの)として生きがちです。 けれど、まずは自分が自分を大好きであること。 その自立した「尊厳」こそが、人生を支える土台なのだと教えられます


「今ここにいる私」
昨年の終わりに「那智の滝」へ続く熊野古道を歩いた。 苔むした不揃いの石畳。大門坂。 数えきれないほどの巡礼者がここを踏み歩いたことで、角が取れて丸くなっていることに数百年の歴史を感じる。 見上げた先に続く天を突くような杉の木の巨木たち。 そこには圧倒的な生命力があった。 杉の木立から差し込む光の美しさ。 あの神秘的な空気は、今でも時々思い出す。 結局、あまりの険しさと長い距離に、途中からタクシーを使った。 以前の私なら「最後まで歩けなかった」と悔しい思いになっていたかもしれず。 今の私は、効率や結果がすべてとは考えない。 あの杉並木の中で立ち止まり、深く息を吸い込んだら、とても満たされた気持ちになった、それでいい。 それが私の巡礼。 未来でもない、過去でもない。 「今ここにいる自分」に意識を戻す作業。 こういう時間が大切だと心から思う。 朱色の平安衣装を借りて歩くこともできる。 歩いている人を見つけた!フォトジェニック。


「仕方がない」は止める
気づけば、この思考が今の私の思考クセの中心にあること。 「仕方がない」 だって、仕事だから。 だって、約束していることだから。 だって、あの人が悲しむから。 どれも間違っていない。 むしろ、ちゃんとしている理由。 我慢して、飲み込んで、やり過ごす。 その結果、イライラしたり、人のせいにしたくなったり、なぜか体調を崩したりする。 最近、こんな整理をある人から学んだ。 手足が未来。 体が現実。 頭は過去。 頭は賢い。 でも頭が考えていることの多くは、過去の経験、失敗、怖かった記憶からできている。 だから頭だけで決めると、安全だけど、変わらない選択になる。 一方で、手足は未来に向かっている。「やってみたい」「行ってみたい」「触れてみたい」理由よりも先に、動きたがる。 子どもがまっすぐ動けるのは、頭が真っ白だから。過去が少ない分、未来に出やすい。 「仕方がない」をやめるための大事な対策。 それは、 未来を具体的に描くこと 。 思考は、現実をつくる。 だったら、「この選択の先に、どんな自分でいたいか」「どんな結果を受け取っていたいか」を、できるだけ具体的に
























