

成長支援のワナ
管理職になると必ずぶつかるテーマがある。 「部下の育成」「成長支援」だ。 「育てたいのに、うまくいかない」そう感じたことはないだろうか。 先日の管理職研修で、「成長支援とは何か」を言語化するワークショップを行った。 挙がったのは、どれも正しいことばかりだった。 ・相手の未来をともに描く ・その実現に向けてエネルギーを渡す ・気持ちの支援だけではなく、具体的な行動ができるような関与をし続ける ・成長に向けて変わることを決めるのは本人であることが大前提 ・当事者意識を目覚めさせるような関わりをする どれも「その通りだよね」と頷けるものだ。 一方で、同時に気づく。 「わかっているのに、できていない自分たち」に。 ワナ①「配慮」という名の「臆病さ」 「相手も大人だから、踏み込みすぎはよくない」「自分で考えさせることが大事」「誘導になってはいけない」 そうやって、一歩引いた関わりを選んでしまう。 しかしその裏側には、こんな本音が潜んでいる。 拒絶されたくない。面倒な感情に踏み込みたくない。 つまりそれは、「相手のための配慮」であると同時に、自分を守るための


人生を納得して生き切る【100万回生きたねこ】が教えてくれること
「100万年も死なないねこがいました。100万回も死んで、100万回も生きたのです」 そんな一節から始まる、佐野洋子さんの名作絵本『100万回生きたねこ』。 先日、NHKの『100分de名著』で紹介されているのを見て、久しぶりに本棚から引っ張り出して読み返してみました。 子供の頃の記憶では、「好きになるっていいな」という純粋な恋の物語。 けれど大人になった今、この物語は「自分の人生をどう納得して生き切るか」という、もっと根源的な問いを投げかけてくれました。 「誰のねこでもない」という尊厳 かつてのねこは、王様、船乗り、泥棒、おばあさん……と、常に「誰かのねこ」でした。 100万回繰り返される生まれ変わり(輪廻転生)は、いわば自分不在の人生。 しかしある時、ねこは初めて「誰のねこでもない、自分のねこ」になります。 この言葉に、私はハッとしました。 私たちは社会の中で、会社、家族、国家など、何かの役割(=誰かのもの)として生きがちです。 けれど、まずは自分が自分を大好きであること。 その自立した「尊厳」こそが、人生を支える土台なのだと教えられます


「今ここにいる私」
昨年の終わりに「那智の滝」へ続く熊野古道を歩いた。 苔むした不揃いの石畳。大門坂。 数えきれないほどの巡礼者がここを踏み歩いたことで、角が取れて丸くなっていることに数百年の歴史を感じる。 見上げた先に続く天を突くような杉の木の巨木たち。 そこには圧倒的な生命力があった。 杉の木立から差し込む光の美しさ。 あの神秘的な空気は、今でも時々思い出す。 結局、あまりの険しさと長い距離に、途中からタクシーを使った。 以前の私なら「最後まで歩けなかった」と悔しい思いになっていたかもしれず。 今の私は、効率や結果がすべてとは考えない。 あの杉並木の中で立ち止まり、深く息を吸い込んだら、とても満たされた気持ちになった、それでいい。 それが私の巡礼。 未来でもない、過去でもない。 「今ここにいる自分」に意識を戻す作業。 こういう時間が大切だと心から思う。 朱色の平安衣装を借りて歩くこともできる。 歩いている人を見つけた!フォトジェニック。


「仕方がない」は止める
気づけば、この思考が今の私の思考クセの中心にあること。 「仕方がない」 だって、仕事だから。 だって、約束していることだから。 だって、あの人が悲しむから。 どれも間違っていない。 むしろ、ちゃんとしている理由。 我慢して、飲み込んで、やり過ごす。 その結果、イライラしたり、人のせいにしたくなったり、なぜか体調を崩したりする。 最近、こんな整理をある人から学んだ。 手足が未来。 体が現実。 頭は過去。 頭は賢い。 でも頭が考えていることの多くは、過去の経験、失敗、怖かった記憶からできている。 だから頭だけで決めると、安全だけど、変わらない選択になる。 一方で、手足は未来に向かっている。「やってみたい」「行ってみたい」「触れてみたい」理由よりも先に、動きたがる。 子どもがまっすぐ動けるのは、頭が真っ白だから。過去が少ない分、未来に出やすい。 「仕方がない」をやめるための大事な対策。 それは、 未来を具体的に描くこと 。 思考は、現実をつくる。 だったら、「この選択の先に、どんな自分でいたいか」「どんな結果を受け取っていたいか」を、できるだけ具体的に


ネガティブ対策
先日、女性管理職向けの研修にて、講演をしてまいりました。 話し始めてから30分ほどで、熱量が大きすぎたのか、緊張も強かったのか。 部屋の温度も暑く、頭が熱された感じになり、独断で中断をする、という失態をやらかしてしまいました((-_-;)) かなり経験しているのですが、はじめてのこと。ふう‥ 司会運営の方が上手にフォローしてくださり、突然の中断休憩からなんとか再開し、きちんと最後まで終了することができ、ホッとしています。 そこで、話題となった「ポジティブ転換」。 感情のマネジメントがいかに大事かという話の中で、様々なネガティブな思考や感情をポジティブに変換しよう、という話をしたところで。 「自分がどれだけポジティブに変換できたとしても、部下にいるんですよね‥ネガティブな方が。そういう方が足を引っ張り、チーム全体をネガティブにしてしまうんです・・。」 というリアルな話が出ました。 私たちが発信する言葉や、発言内容には十分に気を遣うこと。 「褒める」「感謝を伝える」「ポジティブな言葉を使う」を習慣にすることが大事と話し、自分の気(マインド)はうつる、


お札、折っていますか?
最近は、現金を使う機会が減りましたよね。 暮らしをシンプルにしたいという一環で、昨年小さい財布に変えたんです。 お札は折らざるを得ず、折って財布に入れていたのですが。 お財布から出す際、四つ折りされたお札を伸ばすんですよね。 人に渡すときにも、目の前で伸ばす。 これがどうもしっくりしないというか、申し訳ない気持ちになるというか。 何に対して? お金は大事なもの、という価値観や習慣は、昔から教えられてきたこと。 日本人にとって「お金」は昔から少し特別で、あいまいな存在だった。 神道の考え方では、この世の多くの物は 清らかな状態(ハレ)と、 日常や疲れた溜まった状態(ケ) を行き来するとされている。 お金はたくさんの人の手を渡り、欲や不安、喜びや悲しみといった様々な感情をまといながら巡っていくため、古くからお金は「穢れやすいもの」と考えられてきた。 一方、お金は命をつなぎ、暮らしを支え、人と人を結ぶ力も持っている。そのために、粗末にするものではなく、節目ごとに清めて使うべきもの、「清めるべきもの」ともされてきた。 たとえば、新札をお祝い事に使う習慣。


謹賀新年2026
謹んで新年のお慶びを申し上げます。 2026年は午年(うまどし)、さらに丙午(ひのえうま)ですね。 午年の中で「丙午」は、特に強いエネルギーを持つ年として知られています。 60年に一度巡ってくる「丙」(ひのえ)。 「丙」は、陽の火。 太陽のように、外へ外へと放射する熱と光を象徴します。 一方、「午」もまた火の性質を持ち、行動力、情熱、スピード、自由を意味します。 この二つが重なる「丙午」は、火の気が極まる年。 物事が一気に動き、停滞が許されない年とも言われます。 古い枠組みや惰性で続いてきたものは、この年であらわになり、必要であれば潔く終わりを迎えます。 それは、破壊ではなく、次の時代を生むための浄化。 また、丙午の「馬」は、群れに依存せず、自らの感覚で走る存在。 誰かの指示を待つよりも、自分の内なる衝動に従って動くことが求められます。 だからこそ丙午の年は ・方向転換 ・生き方の再選択 ・本音への回帰 といったテーマが浮上しやすい年でもあります。 「本当はどう生きたいか」を問い直すこと。 丙午は、私たち一人ひとりに、覚悟と誠実さを求めてくる干支


還暦花火🎆
12月5日、還暦花火の日って知ってますか? 先日、日本記念日協会に登録された日。 還暦(60歳)を全国一斉に花火で祝う、というもの。 全国43カ所で、同日同時刻(19時)に赤い花火を60発打ち上げる。 20年近く花火ビジネスをやっていた同級生が、自分の還暦のタイミングで企画して、本当にやってしまいました! クラウドファンディングで、400万を超える支援を集めて。 昔からいろんなアイディアを実現させてしまう人で、これまでたくさんの失敗もあったけど。 今回は、大勢の人に賛同してもらって参加してもらって、かなり満足のいくものになった様子。 本当におめでとう。良かったね。 2025年、この日は満月で🌕✨ 大寒波も来ており。 すごく寒かったけど、相模大野中央公園まで行ってきました! 冬の寒い空に広がった赤い花火は本当にきれいでした。 横をみると、満月が。 赤い花火60発は、自分の人生の一つひとつの年齢の振り返り。 同じく同級生の友人と一緒に感慨深く見上げました。 まぁいろいろあったけど。 いい人生だった、と。 たくさんの人に支えられている、とあらためて感


今の自分を抱きしめてあげよう
リカバリー・カバヒコ(青山美智子著)。 お友達から薦められた一冊。読了。 温かい気持ちになりました。 5つの短編ストーリー。 易しい言葉や表現でとても読みやすかったです。 5階建ての新築マンション、アドヴァンス・ヒル。 それぞれのストーリーの主人公はそのマンションの住人。 近くの日の出公園に古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の直したい部分を触ると回復するという都市伝説があるというもの。 すべてのストーリーにおける主人公の悩みはすごく身近でめちゃくちゃわかる!という感じ。 みな、様々なきっかけで「気づき」を得て、回復し、成長していく。 ここがいい。 第一話、小学生の男の子が主人公。 自分よりも頑張っているお友達の姿を見て、自分の卑屈さや傲慢さに気づく。 「消すのと、隠すのは違うのだ。そうやってごまかしても、なかったことになんてならないのだ。」という気づきと成長がなんとも清々しい。 第二話、幼稚園の娘を持つママが主人公。 ママ友とのリアルな関係図は誰しも「わかる、わかる」と思う。 いい関係を維持するためには、めだっちゃいけない。子


「気づく」ということ(2)多面で見る
「無意識下の偏見」「アンコンシャスバイアス」 自分では気づいていないうちに持っている思い込みや先入観のこと。 無意識は私たちの意識の中の8割9割を占めるとも言われています。 人は育ってきた環境、文化、経験などの中で、「この人はこうだろう」「この状況ではこうなるはず」と自動的に判断してしまう「心のクセ」です。 最近ではよく聞く言葉で、企業内研修等で学ぶ機会もあると思います。 「偏見」「バイアス」と言われると、とかく私たちはそれはいけないこと、悪いこと、と考えて、直さなきゃ、などと思いがちですが。 それは自分が経験や環境から学んできた大事なこと、価値観だったり、自分を守るためにしていたり。 まずは「気づく」ことが大事である、ということ。 知っていれば、判断してしまう前に、一呼吸おくことができるから。 決して、自分が悪いなどと思うことはないのです。 自分を責めることは、自己肯定を下げるようなことは絶対にしてはいけないこと。 【物事は違う角度から見れば全然違って見えてくる】 私たちはどうしても「一つの見方」で反応しています。 誰かの言葉に傷ついた時も、イ
























